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​生まれ、紡ぐまち

これまで5回に分けて伏見の歴史をたどってきました。

伏見が、京都とは異なる文化をもったまちだということが

少し、つかめてきたかと思います。

 

たとえば、京都の碁盤の目の中には

神社は多く存在するものの、お寺はそれほど多くありません。

観光地としても有名な金閣寺や銀閣寺、清水寺なんかも碁盤の目の外だったりします。

平安京を遷都するとき、できるだけ仏教の力を排除したかったからだと言われています。

 

これに対して、伏見には神社はもちろんお寺も結構あります。

そして、その多くは伏見から京都へつながる道、伏見街道に集まっていたりします。

 

こんなところにも、伏見が京都と違う一面を見つけられたりしますね

 

文化の交流地点だったこの土地で生まれ

そして、広まり、あるいは出て行ったものもたくさんあります。

 

その最たるものが伏見人形

全国津々浦々、様々な土人形が伝統産業として残っていますが

その元祖はこの伏見人形だと言われています。

しかしその元祖も、全国には形を残しているものの

伏見には現在ただ1件、丹嘉がその暖簾を引き継ぐのみとなっています。

 

そして意外と知られていないのが

一時期品切れをおこし、入手困難になったほどブームとなった“寒天”

ダイエット効果や美容効果が非常に高いことで注目されましたね

 

この寒天も伏見で生まれ、そして出て行ったものの1つ

現在では、大阪・高槻や長野が産地として有名ですね

 

「銀座」という地名や、路面電車なんかも伏見が発祥で、

近年でいうと伏見の目抜き通り・大手筋商店街は

日本初の太陽光パネル付きのアーケードを誕生させています。

 

港町という文化が激しく行き交う伏見では

人々が新たなことに挑戦し、そしてそれを自分たちの暮らしに紡いできました。

 

有名な偉人や史実ばかりが語られがちですが

そうやって人々が紡いできた暮らしこそが、

歴史と呼ぶにふさわしいものなのかもしれません

 

9につづく

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